Šiauliai and Riga

友人の訪リトアニア記

一日目

昨年の11月、日本からはるばる友人が遊びにきてくれた。日本人の旅行先なんてだいたい有名、人気、飯がうまいの三点セットがないと成立しないはずだが彼女は知名度においても物理的距離においても何もかもアウトライヤーであるリトアニアに来てくれたのであった。

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夜に到着したのでホテルに荷物を預けてからforto dvarasへ。リトアニア料理はやたら腹が膨れる。器のパンは完食できなかったがおいしかったので壁の半分は食べた。

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二日目

翌日は友人の時差ボケなど全く考慮せずいきなりVilniusからŠiauliaiへ。

Stotisまでバスで行ったがいつも通りバスが遅れていたので、遅刻して電車に乗れないんじゃないかと気が気でなかった。いそがしい時間帯のバスは特に遅刻する。そして時間通りではないので多少早めに出発することもある。3分前にバス停に着いたのに目の前でバスが行ってしまうという不条理もリトアニアでは味わえる。この日はなんとか電車には乗れた。

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早起きしたし電車で寝ようねとか言ってたが久しぶりの再会だったので話していたら3時間あっという間だった。

Šiauliaiから目的地まではバスで20分。そして私たちは早速乗り過ごした。バス停が見つからなかったからである。駅前のロータリーにいるタクシーのおっさんはあそこまで行きたいんだろ?たった€20!などと外国人の足元見すぎな法外な価格で気さくに話しかけてくるが適当にあしらった。ちなみにバスで行くと€0.8である。どうやってバス停までたどり着いたかというと一度駅内に戻って人に聞いたり、開いてる店に入って聞いたりしてなんとなく目的地までたどり着いた。次のバスまで小一時間待たなくてはならなかったのでスーパーに入ったりしてそのあたりをうろうろした。

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個人的に面白かったのは年の瀬が近かったので2018年の年間カレンダー入りマグカップが売られていたこと。それも犬模様で。「日本も戌年だね!」なんて言いながら同じ文化があるのかしらと思っていたが、のちにリトアニア人の友人に聞くと「外国の文化はなんとなくクール」みたいな理由で戌年が用いられているらしい。犬はいいけど猪年とかどうなんだろう。絵面はかわいいとはいいがたい。

そうこうしているうちにバスに乗る。バスはもちろんクレジットカードが使えない。オフシーズンのこの地で明らかに観光客のアジア人二人、バスを間違えそうになるとおばあさん二人連れが「そっちじゃない」と教えてくれたりバスに乗ってからも「ここだよ」と教えてくれた。このエピソードが本当に好きだ。

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バスを降りてからはこのようなまさに何もない道を目的地に向かって歩く。

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寒くて、風が強くて、暗い。途中からこの場所こそまさにハガレンのロケ地にふさわしいということを話し合った。

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歩くこと約25分。それらしきものが見え始める。

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なんというかとても妙な場所だ。

Hill of Crosses(Kryžių kalnas)

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こちらが無形文化遺産の通称「十字架の丘」である。

友人と私が出会ったのは10年前。私たちは同じプロテスタント系の学校を卒業している。十字架の丘にいる間はお互いどうしてその学校に入ろうと決めたのかについて話した。

私の宗教は「日本の宗教(大乗仏教+神道+アニミズム)」なのでここにきてなにか「感じる!」というような経験は一切なかったが、十字架の丘ができる経緯は胸が詰まるものがある。これを書いているのは旅行4か月後である。この4か月の間にリトアニア近代史についてだいぶ理解がすすんだので今行くとまた違った思いが去来するのは間違いない。

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寒いからもう帰ろうという話になりバスを待つ。

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バス停の名前はせめて印字してほしいところ。

Riga

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ŠiauliaiからRigaへ。6時半か7時頃に到着。

待ち合わせしていたラトビア出身リガ在住の友人と晩ごはんへ。このピクルス盛りがやたらとおいしかった。

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彼女のお宅に伺うとこれまた信じられないくらいおいしいスープが私たちを待っていた。サワークリームを入れるとマイルドになってさらにおいしかった。このスープは人生で食べたスープの中で一番おいしかった。

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こちらのデザートもめずらしかった。黄色いところだけずっとおかわりできる。白いのはメレンゲじゃないけどたまごの白身。ここで食べたのが初めて。

余談だがこの友人とは以前4か月間住んだことがあったが「お母さんは料理上手」と言うのを聞いてほんまかいなと思っていた。なぜなら彼女の料理は非常に独創的だったからである。教えてあげたすき焼きの素を随分気に入っていたが、よもやラトビアの美しいキッチンの調味料置きでもすき焼きの素を見かけようとは思っていなかった。

三日目に続く。